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Posted by ミリタリーブログ  at 

2015年08月18日

戦争反対、徴兵反対、平和維持は万民同じ主張だと思うが


今日もライターの個人的な記事を書かせていただきます。


 変な題になってしまいましたが、これらは安全保障法案に反対する方々の標語になっているようですが、保守の自分もまったく同感です。
 右翼、左翼、ネットウヨク、ネットサヨク、保守、中道、リベラル 共通して戦争反対なのは当たり前だとおもいます。

 先日の終戦記念日には、靖国神社を参拝した人が16万人いたと報道されていました。
 戦争で亡くなった方の多くは、靖国で会おうと言って亡くなりました。遺族、関係者は、霊に会い、慰めるために靖国に参拝するのは自然な気持ちだと思います。
 中には左翼系の人も遺族関係者であれば参拝した人もいたと思います。そこには主義主張を超えて、戦争はしてはならないという気持ちは一緒なのだと思います。

 同じく、赤紙を配って徴兵制に反対するという安全保障関連法案反対派グループがあったと報道されていました。法案が通ったからといって徴兵制になることはありません。
 むしろ右翼の人が、赤紙を配って、戦争反対、徴兵制反対と主張してもおかしくありません。
 徴兵制反対というのは、そこまでピントがずれていると思います。


 主義主張に関係なく、問題はどうやって平和を維持するかであり、その努力を怠れば、戦争になるとおもいます。念仏のように戦争反対を唱えていても何の解決になるのだろうかとおもいます。
 戦争をしたくない。徴兵制反対(まったく理解に苦しむのですがそれはありえませんが) そういう思いで、いろいろな人が努力をしている、現時点では全く不十分ですが、安全保障法案もそのひとつだと思います。


 亡くなった母は、自分が小さいころ戦争体験について語ってくれていました。空襲が毎日のようにあり、腕すれすれに焼夷弾が落ちたこともあり、とにかく怖かった。戦争が終了したときは、とにかく空襲がなくなるということで正直うれしかったと言っていました。
 焼夷弾がそばに落ちたら不発弾でない限りは、ジェルが絡んで丸焦げになるとなるとおもいますが、そのくらい空襲が激しかったということを言いたかったのだとおもいます。


親弾と子弾






 そんな母でしたが、米軍に関して、終戦後20年以上は経っていましたが、食料を配給してくれた、マッカーサーは天皇を殺さなかった、日本が南北にわかれずに共産主義から守ってくれたとも言っていました。
 普通に考えれば憎きアメリカだとおもうのですが、引き合いに出していたのは、ソ連、中共、北朝鮮などの共産主義国家のことでした。
 ソ連は、日本が降伏したにもかかわらず、攻め込んで領土を奪取し、多くの捕虜をシベリアに抑留した。中共では何十万人の人が粛清されている。朝鮮戦争では北朝鮮の兵士は鎖でつながれていた。などなど、とにかく日本が共産化されていれば大変なことになり、アメリカは守ってくれているということを言いたかったのだと思います。


 アメリカは、日本の平和憲法を作りました。10年も経たないうちにそのアメリカは冷戦構造のなかで日本に再軍備を要求しました。
 サンフランシスコ講和条約の吉田茂は、日本の再軍備だけは避けたいとおもっていたようですが、国連軍(実質はアメリカ)が日本を守ってくれるとは現実的には考えられなかったようで、日本の再軍備とアメリカ軍の駐留を認め、調印し、日本の主権と独立を回復しました。
 
 岸伸介は、現実解からアメリカの駐留を継続的に認めて、日米安全保障条約を結び、アメリカの傘の元での平和維持と経済の発展を選択しました。

 佐藤栄作は、同じく現実解から米軍の駐留を認め、密約をもして、沖縄を返還させました。

 共通して言えるのは、米軍がいなければ日本は独自で守れないという判断だったと思います。アメリカは世界戦略の重要拠点として日本を位置づけているので、日本を守るためだけに駐留しているわけではありませんが、アメリカの国益と一致したということだと思います。

その時々で
”戦争反対、再軍備反対”、”戦争反対、安保反対、米軍は出て行け”、”戦争反対 米軍は沖縄から出て行け”という反対派が時には安保闘争のときのように熱狂的になったりしました。

 戦争反対というのは誰しも同感です。しかし、戦後の冷戦構造を考えれば、再軍備、米軍なしに日本の共産化は防ぐことができたのでしょうか。
 終戦後、米軍は真っ先に北海道に駐留しました。南北に分断させないという強い意思表示のためにです。そういう事実も日本国民は近代史を全く教えられていないのでわからなくなっているのではないでしょうか。


 今では冷戦も過去のものとなったわけですが、安全保障はバランスの元で成り立っていることには変わりません。日本周辺で軍事バランスが崩れてしまえば、今で言うと中国がどんどん進出してくるのは目に見えています。フィリピンがいい例だと思います。
 日本独自で守り抜くには、中国に対抗する膨大な軍事力が必要だということはわかると思います。そのためにはやはり米軍と共同することがかつての首相たちが判断したように現実解であることがわかると思います。
 対抗しないで戦争反対だけを主張する人は、領土、主権が侵略されるという覚悟が必要です。


 さらにその上で、米軍の力が相対的に弱まっている今、アジアの平和と安定のために米軍と歩調を合わせてこの地域に貢献することも求められているのだと思います。
 昨日も書きましたが、日本は、先の大戦で周辺諸国に迷惑をかけ、痛みを与えたということを深く反省しているのなら、この国々の中で特に台湾、フィリピン、ベトナムは、今、中国の脅威に困っているわけですから、かつて迷惑をかけた国々のために、せめて監視活動くらいは手伝ってあげて、地域の安全と安定に貢献してもいいのではないでしょうか。
 最終的には、日本の国防への貢献、日本の国益にもなるつながります。






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Posted by philshooting  at 11:11安全保障

2015年08月17日

終戦70年談話は出さないほうがいいと思っていたが、、、


今日もライターの個人的な記事を書かせていただきます。


 長い間、中韓の先の大戦で日本がした悪行を子々孫々まで謝り続けなければならないとする主張に対して、違和感、最近では嫌悪感を感じていました。

 自分の年代では、おじいさんの時代のことを百歩譲ったとしても悪行を「お前のおじいさんの時代にしたことは悪いことだから孫のお前、お前の子々孫々まで謝罪しなくてはならない」と言われ続けているのです。

 個人にかえて言えば、お前のじいさんは悪いことをしたから孫であるお前も被害者に謝り続けなければならないといわれているようなものです。
 先祖に悪い人がいれば、知らないで生まれてきた子孫も生まれてからずっと罪を負わねばならないということです。


 戦争の原因は、当時の列強支配の中で追い詰められた結果、時の政府と統帥権で独自に動いた軍部の見誤りだと思います。結果、戦争になり、戦場となった地域には迷惑をかけたことはあると思います。それに関しては、戦敗国として十分反省し、サンフランシスコ講和条約が締結されたわけです。それで公にはチャラになったはずで、しかもそれに加えて、戦後世代の税金を使って、日本は必要な援助をアジアにし続けてきたと思います。

 フィリピンでは、日本人は50万人亡くなったといわれています。しかしフィリピン人は100万人亡くなって、その多くは餓死だといわれています。戦前から米の輸入国であったフィリピンに日本が押し寄せた結果です。
 そのことを日本人は知っているでしょうか?

 それでも今日のフィリピンは親日で、その理由は、戦後の復興に日本が多くたずさわり、助けてくれたと多くの方は語ってくれています。
 日本人の倍の人が亡くなっているのもかかわらず、謝れと言わないどころか感謝されているのです。中韓の謝るのを忘れるなではなく、フィリピンのこの事実を忘れるべきではないと思うわけです。

 このようなフィリピンはスカボロー礁、南沙諸島で中国に徹底的にやられています。それこそ日本はフィリピンに何もしなくていいのでしょうか? 今こそ助けるべきではないでしょうか?と思うくらいです。


 自分の母方の父(祖父)は、満州で終戦を迎え、復員してきました。祖父の兄弟2名は南方戦線で戦死しました。義理のおじは寸前のところで終戦になった特攻隊の生き残りでした。親戚ではタラワで玉砕した者もいます。

 これら、おじいさんの代の人々が、悪いことをしたといわれるのも個人からすればものすごく悔しいです。




 国家的規模でいえば、終戦前に2発の原爆をおとされ、東京大空襲をはじめとする無差別爆撃で民間人が何十万と犠牲になり、戦後では捕虜となり、奴隷のごとく扱われた人が同じく何十万といたわけです。

 終戦前後をとっても戦争をした代償は日本に跳ね返ってきているわけです。




 それでも謝り続けろとは、ずいぶんと日本はかわいそうな国だと思うし、自分はこういっている国に嫌悪感を感じています。


 しかしながら、今回の談話で安部首相は言ってくれました。
 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」

 自分の思っていたことを首相が言ってくれました。

 70年談話は、どうせ何を言っても中韓から非難されるので、出さないほうがいいと思っていましたが、そこまでして出す必要があったのは、まさにこれを言うためだったのだと自分なりに解釈しています。

 そうであれば、意義のあるもので、出す必要があったのだと思います。

 まだまだ言いたいことはありますが、また、明日にでも書いてみたいと思います。





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Posted by philshooting  at 08:05安全保障