2015年05月27日
今日は海軍記念日
こんにちはPhilshootingです。
先日も記事にしたのですが、110年前の1905年5月27日に日本が日本海海戦でロシアに大勝利を収めた日です。
それ以降、5月27日を海軍記念日として1945年まで制定されていました。
陸軍の奉天会戦の勝利もあって日本がロシアに勝利し、明治維新からわずか50年近くで世界の5大国にまでのしあがるきっかけとなった出来事でもあるわけです。
海上自衛隊では、伝統的にこの日に何らかの行事があるようです。しかし、
本日、このニュースがどの程度日本のマスコミで取り上げられるのか観察したいところですが、フィリピンにいては詳しい情報はつかめませんね。
早朝、特務艦の信濃丸から九州西方で「敵艦見ユ」からはじまり、
連合艦隊の出撃後 「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」 を打電して、Z旗を揚げ、
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
という有名な言葉がこのとき次々に発せられました。

この艦隊決戦では、史上類を見ない一方的な勝利を日本は得ました。
勝利の要因は、丁字戦法が有名ですが、伊集院信管、下瀬火薬よいう新技術も大きく貢献をしました。簡単に説明すると伊集院信管は従来の信管より鋭敏に起爆させるもの、下瀬火薬は爆発力が従来より高いもので、両者でロシア艦の甲板の破壊を容易にしました。
WW2のときも零戦はあったもの、近接信管、レーダー、暗号解読器の3大発明が日本にあったならば、数々の海戦で一方的な敗北はしなかったのかもしれませんね。


2015年04月14日
海軍記念日と陸軍記念日
こんにちはPhilshootingです。
先日、日本でタクシーに乗っていたら、ひょんなきっかけで射撃の話になり、自分は大昔、自衛隊にいたんです。という話から、いきなり海軍記念日って知っていますかと問われました。
自分は陸上だったんでと言えば、陸軍記念日というのもあるんですといわれました。
開戦記念日と終戦記念は知ってはいますが、あるいは戦争の節目の大方の日付は知ってはいますが、記念日と言われるとどうもリンクしません。
バルチック艦隊をやぶったのが 5月27日で戦前までは海軍記念日だったそうです。奉天会戦で勝利したのが3月10日で陸軍記念日だったそうです。
どちらも史実と大方の日にちは知ってはいるのですが、記念日とリンクしませんでした。
このタクシーの運転手さん、自衛隊と聞くと必ず聞くそうですが、若い自衛官は知らないんだよなとぼやいていました。自分は若くはないし、むしろ知っている人が少ないのではおもいましたが、こういう人もいるのかなと少しほっとしたような気持ちにもなりました。
ただし、伝統を重んじる海軍、海上自衛隊は、海軍記念日周辺に行事を行うことが多いそうで、海上自衛官であれば海軍記念日を知っている人は多いとおもいます。


両記念日も日露戦争のときで、ある意味もっとも歴史で日本が輝いていた時代かもしれません。WW2後、すべてが否定され輝いていた時代のことも語られることが少なくなったんだとおもいます。
ついでにこの記念日に関連して調べてみると、同じく日露戦争の英雄である広瀬武夫中佐の銅像は秋葉原の須田町にあったそうで、戦後、戦意高揚をあおったということで戦犯の一環として強制撤去されたそうです。
同じく陸軍記念日は、くしくも東京大空襲があった日で、その日を狙って空襲されたという説もあるそうです。今では、その日のニュースは東京大空襲のことばかりで、陸軍記念日であったというニュースは流れていません。よって最近の人は知る由もないわけです。
ついでに自分の意見ですが、日本は確かにアメリカとの戦争には負けましたが、戦ってもいない中国共産党や韓国に負けたわけではありません。なのに中韓は、戦勝国のように、あったかどうかも定かでない南京大虐殺や慰安婦で子々孫々まで謝り続けろと言っています。
一方、アメリカに関して言えば、太平洋の戦いにおいて、圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、火炎放射器など非人道的な兵器を使用して殺戮を行いました。その後の本土空襲、原爆投下など10万人単位で大量殺戮を行いました。
もっと言えば、戦争犯罪人を無理に作り上げてこちらも殺してしまいました。
アメリカがしてきたことは非道であるとおもうし、慰安婦問題と比較にならないでしょうとおもうのですが、戦後話題になったこともありませんね。
いくら戦いに負けたとはいえ、言われっぱなしというのはフェアでない気がします。中韓のようにいやらしく、ねちっこくいう必要はないのですが、ようやく言えるようになった時代に、日本が戦争に至った経緯や非人道的な行為を蒙ったことをもう少し事実として世界にアピールしてもいいような気がします。
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先日、日本でタクシーに乗っていたら、ひょんなきっかけで射撃の話になり、自分は大昔、自衛隊にいたんです。という話から、いきなり海軍記念日って知っていますかと問われました。
自分は陸上だったんでと言えば、陸軍記念日というのもあるんですといわれました。
開戦記念日と終戦記念は知ってはいますが、あるいは戦争の節目の大方の日付は知ってはいますが、記念日と言われるとどうもリンクしません。
バルチック艦隊をやぶったのが 5月27日で戦前までは海軍記念日だったそうです。奉天会戦で勝利したのが3月10日で陸軍記念日だったそうです。
どちらも史実と大方の日にちは知ってはいるのですが、記念日とリンクしませんでした。
このタクシーの運転手さん、自衛隊と聞くと必ず聞くそうですが、若い自衛官は知らないんだよなとぼやいていました。自分は若くはないし、むしろ知っている人が少ないのではおもいましたが、こういう人もいるのかなと少しほっとしたような気持ちにもなりました。
ただし、伝統を重んじる海軍、海上自衛隊は、海軍記念日周辺に行事を行うことが多いそうで、海上自衛官であれば海軍記念日を知っている人は多いとおもいます。


両記念日も日露戦争のときで、ある意味もっとも歴史で日本が輝いていた時代かもしれません。WW2後、すべてが否定され輝いていた時代のことも語られることが少なくなったんだとおもいます。
ついでにこの記念日に関連して調べてみると、同じく日露戦争の英雄である広瀬武夫中佐の銅像は秋葉原の須田町にあったそうで、戦後、戦意高揚をあおったということで戦犯の一環として強制撤去されたそうです。
同じく陸軍記念日は、くしくも東京大空襲があった日で、その日を狙って空襲されたという説もあるそうです。今では、その日のニュースは東京大空襲のことばかりで、陸軍記念日であったというニュースは流れていません。よって最近の人は知る由もないわけです。
ついでに自分の意見ですが、日本は確かにアメリカとの戦争には負けましたが、戦ってもいない中国共産党や韓国に負けたわけではありません。なのに中韓は、戦勝国のように、あったかどうかも定かでない南京大虐殺や慰安婦で子々孫々まで謝り続けろと言っています。
一方、アメリカに関して言えば、太平洋の戦いにおいて、圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、火炎放射器など非人道的な兵器を使用して殺戮を行いました。その後の本土空襲、原爆投下など10万人単位で大量殺戮を行いました。
もっと言えば、戦争犯罪人を無理に作り上げてこちらも殺してしまいました。
アメリカがしてきたことは非道であるとおもうし、慰安婦問題と比較にならないでしょうとおもうのですが、戦後話題になったこともありませんね。
いくら戦いに負けたとはいえ、言われっぱなしというのはフェアでない気がします。中韓のようにいやらしく、ねちっこくいう必要はないのですが、ようやく言えるようになった時代に、日本が戦争に至った経緯や非人道的な行為を蒙ったことをもう少し事実として世界にアピールしてもいいような気がします。


タグ :海外実銃実弾射撃コース
2015年03月28日
両陛下のペリリュー島ご訪問
こんにちはPhilshootingです。
昨年、陛下がペリリュー島に慰霊のため、ご訪問をされるという意思を示され、今年1月閣議で了承され、4月にご訪問の運びとなりました。
ライターの自分は、”Band of Brothers”と”The Pacific”というBBC製作の映画ドラマをよく見ます。10年前と8年前に作られたものだと記憶しますが、DVDを買って、10回以上は見ました。
WW2のヨーロッパ戦線と太平洋戦線が凝縮されたような映画ですが、あくまでも米軍の兵士の立場からみたものです。
その”The Pacific”の中では、今までの太平洋の島から島への上陸の映画と違って、ペリリュー島の戦いが多く描写されています。
日本では昨年だと思いますが、”命ある限り戦え そして生き抜け”という終戦記念ドラマがTVであり、そこでペリリューのことを知った方も多くいらっしゃるかもしれません。
ペリリュー島の戦いは、海兵隊が直面したもっとも厳しい戦いだったとか、3日で落とせるのが77日かかったとか、海兵隊がもっとも死亡したとか、精神異常者が最も出たとか、一般的にはそう言われているのですが、”The Pacific”では、そういう泥臭いところが克明に描かれています。
歩兵の銃としては、M1ガーランド銃やトンプソン銃がよく出てきます。
この映画を日本人が見ると結構腹立たしいというか、残酷なシーンが出てきます。死にかけた日本兵の金歯をナイフでえぐりだすシーンとか、砲弾で頭が半分吹っ飛んだ、日本の機関銃兵の頭の中に小石を投げ込んで、死者を冒涜するようなシーンとかです。
(映画なのですが、YouTubeから抜粋させていただきました。)

こちらは、気持ち悪いので石を投げる前のシーンです。

当時の海兵隊は、とにかくJapを殺すことを徹底的に教え込まれ、殺すことが目標にされていたようで、とにかく日本兵は徹底的に殺されます。
主人公が戦後、職安に行って、海兵隊では何をしていて得意技は何かと聞かれるシーンがあるのですが、Japの殺し方 と答えていたのが印象的でした。
火炎放射器で焼き殺したり、ブルドーザで生き埋めにされるなど、洞窟陣地で防御をする日本軍をらゆる残酷な手段で殺したのもこの戦いからだと言われています。
死者数だけ見ると、日本軍約1万ちょっと、米軍約1千ちょっと と圧倒的に日本軍の被害が多いのですが、それでもアメリカ内部では、ペリリューの戦略的価値と攻撃の必要性について議論され、多くの若い米兵の命の犠牲が本当に必要だったのかという非難があったようです。
多くの米軍の若い尊い命が犠牲になったという言葉は、最近でもよく聞きますが、米国と戦った国はおそらく米国の10倍以上の死者を出しているし、相手の立場に立てばあまり使われたくない言葉です。
特にWW2では、マッカーサーも後に回顧していますが、100%日本が悪くて戦争になったわけではなく、米国だけの立場に立ったこのような言葉はあまり聞きたくない言葉です。
ペリリュー島には日本軍の飛行場があって、南太平洋の戦略的価値、特にフィリピン攻略の妨げになると判断されたようですが、後の判断では、米国にとってほぼ価値はなかったと思われます。
フィリピン攻略さえも米国にとって本土攻略には意味のないものと言っても過言ではないと思います。
米国にとって、価値のないところで多くの犠牲を出したというのは確かに無駄だったかも知れません。
しかし、そこにいて戦った日本の尊い兵士、軍属、巻き込まれた民間人の命は、無駄だったとは思いません。
特攻、玉砕、持久などあらゆる抵抗をして、少しでも本土攻撃を遅らせて、日本本土を守ろうとした意思があったからです。
それに直面した海兵隊をはじめ多くの米兵は、日本兵などへの怖さを感じ、本土決戦を躊躇したものと思います。
その後、原爆が投下され、陛下のご判断で降伏し、日本が分割統治されず、日本が復興し、繁栄したことは、少しでも戦死した方々への供養になるのではないかと思います。
不肖ながら自分も自衛隊にいたときは、関東や普通の方はいけない硫黄島、南鳥島などで不発弾などをしたことがあります。特に硫黄島では、周りを見渡してその時の戦況を戦史の知識と照らし合わせ想像し、今でも遺骨が残る先人の無念さを考えるとともに、冥福をお祈りいたしました。
その後も、太平洋戦争に関しては、沖縄、サイパン、テニアン、グアム、フィリピンなど戦史探索の旅をしてきましたが、縁あってフィリピンでは滞在することになり、多くの戦跡を訪れ、戦史と照らし合わせることができました。
射撃コースもそのような縁でその延長線上で、コースを手伝っているといっても過言ではないかもしれません。
ちなみにいままでコースに参加された方で先祖がフィリピン戦線で亡くなられたという方がいらして、顕花をされました。
太平洋では、タラワ、トラック、ガダルカナル、ペリリューはぜひ訪れたい場所だと思っています。
特にペリリューは”The Pacific”で見て以来、わずか3x9kmの島で、どのように陣地を構築して、攻撃を遅延させたのか、じっくりと回ってみたいと思っていたところです。
そんな時、今回、両陛下が慰霊でペリリューを訪問されると伺い、当時、昭和天皇から御嘉賞を11度頂いて士気が上がった兵隊も、今では英霊でもきっと感無量のことと思います。
両陛下も事前に三十四会(みとしかい)の土田さんと永井さんと面談され当時の様子を聞かれたということで、慰霊には当時の状況を思い浮かべて臨まれることだと思います。
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昨年、陛下がペリリュー島に慰霊のため、ご訪問をされるという意思を示され、今年1月閣議で了承され、4月にご訪問の運びとなりました。
ライターの自分は、”Band of Brothers”と”The Pacific”というBBC製作の映画ドラマをよく見ます。10年前と8年前に作られたものだと記憶しますが、DVDを買って、10回以上は見ました。
WW2のヨーロッパ戦線と太平洋戦線が凝縮されたような映画ですが、あくまでも米軍の兵士の立場からみたものです。
その”The Pacific”の中では、今までの太平洋の島から島への上陸の映画と違って、ペリリュー島の戦いが多く描写されています。
日本では昨年だと思いますが、”命ある限り戦え そして生き抜け”という終戦記念ドラマがTVであり、そこでペリリューのことを知った方も多くいらっしゃるかもしれません。
ペリリュー島の戦いは、海兵隊が直面したもっとも厳しい戦いだったとか、3日で落とせるのが77日かかったとか、海兵隊がもっとも死亡したとか、精神異常者が最も出たとか、一般的にはそう言われているのですが、”The Pacific”では、そういう泥臭いところが克明に描かれています。
歩兵の銃としては、M1ガーランド銃やトンプソン銃がよく出てきます。
この映画を日本人が見ると結構腹立たしいというか、残酷なシーンが出てきます。死にかけた日本兵の金歯をナイフでえぐりだすシーンとか、砲弾で頭が半分吹っ飛んだ、日本の機関銃兵の頭の中に小石を投げ込んで、死者を冒涜するようなシーンとかです。
(映画なのですが、YouTubeから抜粋させていただきました。)

こちらは、気持ち悪いので石を投げる前のシーンです。

当時の海兵隊は、とにかくJapを殺すことを徹底的に教え込まれ、殺すことが目標にされていたようで、とにかく日本兵は徹底的に殺されます。
主人公が戦後、職安に行って、海兵隊では何をしていて得意技は何かと聞かれるシーンがあるのですが、Japの殺し方 と答えていたのが印象的でした。
火炎放射器で焼き殺したり、ブルドーザで生き埋めにされるなど、洞窟陣地で防御をする日本軍をらゆる残酷な手段で殺したのもこの戦いからだと言われています。
死者数だけ見ると、日本軍約1万ちょっと、米軍約1千ちょっと と圧倒的に日本軍の被害が多いのですが、それでもアメリカ内部では、ペリリューの戦略的価値と攻撃の必要性について議論され、多くの若い米兵の命の犠牲が本当に必要だったのかという非難があったようです。
多くの米軍の若い尊い命が犠牲になったという言葉は、最近でもよく聞きますが、米国と戦った国はおそらく米国の10倍以上の死者を出しているし、相手の立場に立てばあまり使われたくない言葉です。
特にWW2では、マッカーサーも後に回顧していますが、100%日本が悪くて戦争になったわけではなく、米国だけの立場に立ったこのような言葉はあまり聞きたくない言葉です。
ペリリュー島には日本軍の飛行場があって、南太平洋の戦略的価値、特にフィリピン攻略の妨げになると判断されたようですが、後の判断では、米国にとってほぼ価値はなかったと思われます。
フィリピン攻略さえも米国にとって本土攻略には意味のないものと言っても過言ではないと思います。
米国にとって、価値のないところで多くの犠牲を出したというのは確かに無駄だったかも知れません。
しかし、そこにいて戦った日本の尊い兵士、軍属、巻き込まれた民間人の命は、無駄だったとは思いません。
特攻、玉砕、持久などあらゆる抵抗をして、少しでも本土攻撃を遅らせて、日本本土を守ろうとした意思があったからです。
それに直面した海兵隊をはじめ多くの米兵は、日本兵などへの怖さを感じ、本土決戦を躊躇したものと思います。
その後、原爆が投下され、陛下のご判断で降伏し、日本が分割統治されず、日本が復興し、繁栄したことは、少しでも戦死した方々への供養になるのではないかと思います。
不肖ながら自分も自衛隊にいたときは、関東や普通の方はいけない硫黄島、南鳥島などで不発弾などをしたことがあります。特に硫黄島では、周りを見渡してその時の戦況を戦史の知識と照らし合わせ想像し、今でも遺骨が残る先人の無念さを考えるとともに、冥福をお祈りいたしました。
その後も、太平洋戦争に関しては、沖縄、サイパン、テニアン、グアム、フィリピンなど戦史探索の旅をしてきましたが、縁あってフィリピンでは滞在することになり、多くの戦跡を訪れ、戦史と照らし合わせることができました。
射撃コースもそのような縁でその延長線上で、コースを手伝っているといっても過言ではないかもしれません。
ちなみにいままでコースに参加された方で先祖がフィリピン戦線で亡くなられたという方がいらして、顕花をされました。
太平洋では、タラワ、トラック、ガダルカナル、ペリリューはぜひ訪れたい場所だと思っています。
特にペリリューは”The Pacific”で見て以来、わずか3x9kmの島で、どのように陣地を構築して、攻撃を遅延させたのか、じっくりと回ってみたいと思っていたところです。
そんな時、今回、両陛下が慰霊でペリリューを訪問されると伺い、当時、昭和天皇から御嘉賞を11度頂いて士気が上がった兵隊も、今では英霊でもきっと感無量のことと思います。
両陛下も事前に三十四会(みとしかい)の土田さんと永井さんと面談され当時の様子を聞かれたということで、慰霊には当時の状況を思い浮かべて臨まれることだと思います。

