2015年03月28日
両陛下のペリリュー島ご訪問
こんにちはPhilshootingです。
昨年、陛下がペリリュー島に慰霊のため、ご訪問をされるという意思を示され、今年1月閣議で了承され、4月にご訪問の運びとなりました。
ライターの自分は、”Band of Brothers”と”The Pacific”というBBC製作の映画ドラマをよく見ます。10年前と8年前に作られたものだと記憶しますが、DVDを買って、10回以上は見ました。
WW2のヨーロッパ戦線と太平洋戦線が凝縮されたような映画ですが、あくまでも米軍の兵士の立場からみたものです。
その”The Pacific”の中では、今までの太平洋の島から島への上陸の映画と違って、ペリリュー島の戦いが多く描写されています。
日本では昨年だと思いますが、”命ある限り戦え そして生き抜け”という終戦記念ドラマがTVであり、そこでペリリューのことを知った方も多くいらっしゃるかもしれません。
ペリリュー島の戦いは、海兵隊が直面したもっとも厳しい戦いだったとか、3日で落とせるのが77日かかったとか、海兵隊がもっとも死亡したとか、精神異常者が最も出たとか、一般的にはそう言われているのですが、”The Pacific”では、そういう泥臭いところが克明に描かれています。
歩兵の銃としては、M1ガーランド銃やトンプソン銃がよく出てきます。
この映画を日本人が見ると結構腹立たしいというか、残酷なシーンが出てきます。死にかけた日本兵の金歯をナイフでえぐりだすシーンとか、砲弾で頭が半分吹っ飛んだ、日本の機関銃兵の頭の中に小石を投げ込んで、死者を冒涜するようなシーンとかです。
(映画なのですが、YouTubeから抜粋させていただきました。)
こちらは、気持ち悪いので石を投げる前のシーンです。
当時の海兵隊は、とにかくJapを殺すことを徹底的に教え込まれ、殺すことが目標にされていたようで、とにかく日本兵は徹底的に殺されます。
主人公が戦後、職安に行って、海兵隊では何をしていて得意技は何かと聞かれるシーンがあるのですが、Japの殺し方 と答えていたのが印象的でした。
火炎放射器で焼き殺したり、ブルドーザで生き埋めにされるなど、洞窟陣地で防御をする日本軍をらゆる残酷な手段で殺したのもこの戦いからだと言われています。
死者数だけ見ると、日本軍約1万ちょっと、米軍約1千ちょっと と圧倒的に日本軍の被害が多いのですが、それでもアメリカ内部では、ペリリューの戦略的価値と攻撃の必要性について議論され、多くの若い米兵の命の犠牲が本当に必要だったのかという非難があったようです。
多くの米軍の若い尊い命が犠牲になったという言葉は、最近でもよく聞きますが、米国と戦った国はおそらく米国の10倍以上の死者を出しているし、相手の立場に立てばあまり使われたくない言葉です。
特にWW2では、マッカーサーも後に回顧していますが、100%日本が悪くて戦争になったわけではなく、米国だけの立場に立ったこのような言葉はあまり聞きたくない言葉です。
ペリリュー島には日本軍の飛行場があって、南太平洋の戦略的価値、特にフィリピン攻略の妨げになると判断されたようですが、後の判断では、米国にとってほぼ価値はなかったと思われます。
フィリピン攻略さえも米国にとって本土攻略には意味のないものと言っても過言ではないと思います。
米国にとって、価値のないところで多くの犠牲を出したというのは確かに無駄だったかも知れません。
しかし、そこにいて戦った日本の尊い兵士、軍属、巻き込まれた民間人の命は、無駄だったとは思いません。
特攻、玉砕、持久などあらゆる抵抗をして、少しでも本土攻撃を遅らせて、日本本土を守ろうとした意思があったからです。
それに直面した海兵隊をはじめ多くの米兵は、日本兵などへの怖さを感じ、本土決戦を躊躇したものと思います。
その後、原爆が投下され、陛下のご判断で降伏し、日本が分割統治されず、日本が復興し、繁栄したことは、少しでも戦死した方々への供養になるのではないかと思います。
不肖ながら自分も自衛隊にいたときは、関東や普通の方はいけない硫黄島、南鳥島などで不発弾などをしたことがあります。特に硫黄島では、周りを見渡してその時の戦況を戦史の知識と照らし合わせ想像し、今でも遺骨が残る先人の無念さを考えるとともに、冥福をお祈りいたしました。
その後も、太平洋戦争に関しては、沖縄、サイパン、テニアン、グアム、フィリピンなど戦史探索の旅をしてきましたが、縁あってフィリピンでは滞在することになり、多くの戦跡を訪れ、戦史と照らし合わせることができました。
射撃コースもそのような縁でその延長線上で、コースを手伝っているといっても過言ではないかもしれません。
ちなみにいままでコースに参加された方で先祖がフィリピン戦線で亡くなられたという方がいらして、顕花をされました。
太平洋では、タラワ、トラック、ガダルカナル、ペリリューはぜひ訪れたい場所だと思っています。
特にペリリューは”The Pacific”で見て以来、わずか3x9kmの島で、どのように陣地を構築して、攻撃を遅延させたのか、じっくりと回ってみたいと思っていたところです。
そんな時、今回、両陛下が慰霊でペリリューを訪問されると伺い、当時、昭和天皇から御嘉賞を11度頂いて士気が上がった兵隊も、今では英霊でもきっと感無量のことと思います。
両陛下も事前に三十四会(みとしかい)の土田さんと永井さんと面談され当時の様子を聞かれたということで、慰霊には当時の状況を思い浮かべて臨まれることだと思います。
実弾射撃コース
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昨年、陛下がペリリュー島に慰霊のため、ご訪問をされるという意思を示され、今年1月閣議で了承され、4月にご訪問の運びとなりました。
ライターの自分は、”Band of Brothers”と”The Pacific”というBBC製作の映画ドラマをよく見ます。10年前と8年前に作られたものだと記憶しますが、DVDを買って、10回以上は見ました。
WW2のヨーロッパ戦線と太平洋戦線が凝縮されたような映画ですが、あくまでも米軍の兵士の立場からみたものです。
その”The Pacific”の中では、今までの太平洋の島から島への上陸の映画と違って、ペリリュー島の戦いが多く描写されています。
日本では昨年だと思いますが、”命ある限り戦え そして生き抜け”という終戦記念ドラマがTVであり、そこでペリリューのことを知った方も多くいらっしゃるかもしれません。
ペリリュー島の戦いは、海兵隊が直面したもっとも厳しい戦いだったとか、3日で落とせるのが77日かかったとか、海兵隊がもっとも死亡したとか、精神異常者が最も出たとか、一般的にはそう言われているのですが、”The Pacific”では、そういう泥臭いところが克明に描かれています。
歩兵の銃としては、M1ガーランド銃やトンプソン銃がよく出てきます。
この映画を日本人が見ると結構腹立たしいというか、残酷なシーンが出てきます。死にかけた日本兵の金歯をナイフでえぐりだすシーンとか、砲弾で頭が半分吹っ飛んだ、日本の機関銃兵の頭の中に小石を投げ込んで、死者を冒涜するようなシーンとかです。
(映画なのですが、YouTubeから抜粋させていただきました。)
こちらは、気持ち悪いので石を投げる前のシーンです。
当時の海兵隊は、とにかくJapを殺すことを徹底的に教え込まれ、殺すことが目標にされていたようで、とにかく日本兵は徹底的に殺されます。
主人公が戦後、職安に行って、海兵隊では何をしていて得意技は何かと聞かれるシーンがあるのですが、Japの殺し方 と答えていたのが印象的でした。
火炎放射器で焼き殺したり、ブルドーザで生き埋めにされるなど、洞窟陣地で防御をする日本軍をらゆる残酷な手段で殺したのもこの戦いからだと言われています。
死者数だけ見ると、日本軍約1万ちょっと、米軍約1千ちょっと と圧倒的に日本軍の被害が多いのですが、それでもアメリカ内部では、ペリリューの戦略的価値と攻撃の必要性について議論され、多くの若い米兵の命の犠牲が本当に必要だったのかという非難があったようです。
多くの米軍の若い尊い命が犠牲になったという言葉は、最近でもよく聞きますが、米国と戦った国はおそらく米国の10倍以上の死者を出しているし、相手の立場に立てばあまり使われたくない言葉です。
特にWW2では、マッカーサーも後に回顧していますが、100%日本が悪くて戦争になったわけではなく、米国だけの立場に立ったこのような言葉はあまり聞きたくない言葉です。
ペリリュー島には日本軍の飛行場があって、南太平洋の戦略的価値、特にフィリピン攻略の妨げになると判断されたようですが、後の判断では、米国にとってほぼ価値はなかったと思われます。
フィリピン攻略さえも米国にとって本土攻略には意味のないものと言っても過言ではないと思います。
米国にとって、価値のないところで多くの犠牲を出したというのは確かに無駄だったかも知れません。
しかし、そこにいて戦った日本の尊い兵士、軍属、巻き込まれた民間人の命は、無駄だったとは思いません。
特攻、玉砕、持久などあらゆる抵抗をして、少しでも本土攻撃を遅らせて、日本本土を守ろうとした意思があったからです。
それに直面した海兵隊をはじめ多くの米兵は、日本兵などへの怖さを感じ、本土決戦を躊躇したものと思います。
その後、原爆が投下され、陛下のご判断で降伏し、日本が分割統治されず、日本が復興し、繁栄したことは、少しでも戦死した方々への供養になるのではないかと思います。
不肖ながら自分も自衛隊にいたときは、関東や普通の方はいけない硫黄島、南鳥島などで不発弾などをしたことがあります。特に硫黄島では、周りを見渡してその時の戦況を戦史の知識と照らし合わせ想像し、今でも遺骨が残る先人の無念さを考えるとともに、冥福をお祈りいたしました。
その後も、太平洋戦争に関しては、沖縄、サイパン、テニアン、グアム、フィリピンなど戦史探索の旅をしてきましたが、縁あってフィリピンでは滞在することになり、多くの戦跡を訪れ、戦史と照らし合わせることができました。
射撃コースもそのような縁でその延長線上で、コースを手伝っているといっても過言ではないかもしれません。
ちなみにいままでコースに参加された方で先祖がフィリピン戦線で亡くなられたという方がいらして、顕花をされました。
太平洋では、タラワ、トラック、ガダルカナル、ペリリューはぜひ訪れたい場所だと思っています。
特にペリリューは”The Pacific”で見て以来、わずか3x9kmの島で、どのように陣地を構築して、攻撃を遅延させたのか、じっくりと回ってみたいと思っていたところです。
そんな時、今回、両陛下が慰霊でペリリューを訪問されると伺い、当時、昭和天皇から御嘉賞を11度頂いて士気が上がった兵隊も、今では英霊でもきっと感無量のことと思います。
両陛下も事前に三十四会(みとしかい)の土田さんと永井さんと面談され当時の様子を聞かれたということで、慰霊には当時の状況を思い浮かべて臨まれることだと思います。